「 坂の街/サンフランシスコ@Hyde Stからの寄り道 」
SanFrancisco サンフランシスコ (CA)その当時、ヤシカの主力製品であったカメラの試作部門に配属しており、同僚であったN氏とはまるで兄弟のような間柄であったという。そのN氏は1960年にニューヨーク・ヤシカへ転勤移動となり海を渡って、その後40年間アメリカ生活を送った。2000年諸事情により母国日本へ戻ってきた方である。
父と私はこの方のご案内で過去にロサンゼルス ~ ラスベガス ~ サンフランシスコと西海岸を訪れ、随分とお世話になった事が思い出される。その中でもラスベガスのホテル・ミラージュ(Mirage)でこの方はVIP会員でありその高待遇には度肝を抜かれた。今となっては懐かしい思い出である。
話は脱線するが、かつて日本で話題となった「 NHKプロジェクトX 」という番組では、SONY(東京通信工業)が日系企業でアメリカへ初めて進出した企業と言われているが、実は1957年にYASHIKA(ヤシカ)が全米初進出日系企業である事を知る者は少ないらしい。
しかしながら、ヤシカは当時の経営者の不祥事により数年後に経営破綻する憂き目となる。
今回驚いた事の一つにアメリカ人は「 YASHIKA 」ブランドのカメラを知っている者が意外と多いと言う事である。アメリカでは知名度が高く、庶民に浸透しているという事が伺える。
その当時ヤシカは破竹の勢いでカメラの売り上げを全米で伸ばしたと言う。
現在は京セラに合併され、その後、京セラもヤシカ・ブランドを譲渡したと聞いている。
さて、そのN氏は、かつてサンフランシスコに2年程住んでいた事があったという。その場所が今回、私が泊まったハイド通り(Hyde St)にある、ノブ・ヒル(Nob Hill)Hotelの2ブロック下った所だという。そんな事を回想しながら太鼓道場式典翌日の22日は、ちょっと気ままに界隈を歩いてみようと思い、昼食を近くのカフェで済ませ、その後ハイド通り(Hyde St)沿いを散策する事にした。
過去数回ここサンフランシスコはプライベートで訪れているが、こうしてゆっくり一人気ままに出歩く事はなかった。

滞在先ホテルから北へ向かって坂道を登って下っておよそ20分、ロンバード通り(Lombard St)とハイド通り(Hyde St)が交差する丘に、ハリウッドの映画シーンでも有名な『ラッシャン・ヒル(Russian Hill)』がある。


この丘の中腹からの眺望は最高で遠方右手にはピラミッド形の塔「トランスアメリカ・ピラミッド(Transamerica Pyramid)」が左手には「コイト・タワー(Coit Tower)」がその間の中央部には「ベイ・ブリッジ(Bay Bridge)」を一望する事が出来る。


ここは車道となっており9つのカーブをジグザグに曲がる、ユーモラスな造りで紫陽花(アジサイ)の花が緩やかなカーブを色鮮やかに彩っている。また車道の両端には歩道が併設され上り下りする事も出来る。丘の頂から見るとそうでもないが、下から見上げると意外と急な坂道でいかにきついかはっきりと分かる。一度は車で降りてみたいものである。


それから、さらに北へ歩きフランシスコ通り(Francisco St)とリーベンワース通り(Leavenworth St)角にある、見晴らしのいい高台でアルカトラズ島(Alcartraz)を背景に写真を一枚撮ってもらった。


さらに下ると「アクアティック・パーク(Aquatic Park)」に辿り着く。
そこから全長約2.7kmの世界一美しいつり橋「ゴールデンゲート・ブリッジ(Golden Gate Bridge)」が遠方に見える。如何に長い橋か遠くからでもはっきりとわかる。
この日は雲と霧にかき消され、薄っすらと赤い雄姿が見えていた。

又この日の陽気は連日の暑さと打って変わって、あいにくの曇り空で風が強く気温も低かった。しかし、ここのビーチで3人程、海の中で泳いでいる光景が印象的であった。こちらへ到着4日目にして、サンフランシスコ特有の気候を肌身で感じた1日であった。
ホテルへ戻る途中の坂道から望めるゴールデンゲート・ブリッジも同様に雲と霧にかき消されていたが、ここからの眺望は美しくゴールデンゲート・ブリッジの重厚な橋桁をみる事ができた。

既に時刻は6時半を過ぎていた。



改めてゆっくりとケーブルカー(Cable Car)の走るこのハイド通り(Powell-Hyde Line)を見て歩くと洒落た住宅が多い事に気が付く。出窓が多い住宅が多く採光を取り入れる工夫がされ空間が有効に使われている建築様式となっている。また外壁面も色彩豊かで、白を基調に、ピンク、イエロー、グレーと色鮮やかな街並みが整然としており、ケーブルカーの街並みにふさわしい落ち着いた雰囲気を醸し出している。カリフォルニア通り(California St)とハイド通り(Hyde St)角にあるスーパーマーケット「 CALA Foods 」に立ち寄り買い物をした。
やはりここ一帯は高級住宅街もあり、品揃えは豊富にあるが全般的に物価は高い気がした。




今回の「ちょっと寄り道」は、ホテルからの僅かな距離であったが、実際に歩いて見た街並みと眺望は、ここサンフランシスコの原型そのものを発見する事ができた散策であったと実感する。
そんな事を思い巡らしながら宿泊ホテルに戻り、明日の岐路に備え荷物をまとめ、早めに床に入った。
明日23日は14:00発サンフランシスコ空港(SFO)から成田空港(NRA)の便へ、そして成田空港の第二ターミナルからシドニー空港(SYD)へと、およそ20時間の空の旅となる。
エコノミー症候群には用心したい。
機中、出来るだけまめに体を動かそう・・・。
23日朝10:00の迎えの車に乗りこんだ。
大江戸助六太鼓・小林正道宗家ら面々もこの日のJAL便で日本へ帰るとの事で、田中誠一先生の下へ一緒に挨拶をして我々の再会を約束し、車をサンフランシスコ空港へ走らせた。
サンフランシスコ空港内の食堂で改めて、日本酒で契り(チギリ)を交わし別れを告げた。
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