「 おむすび 」5月26日、この日は由緒あるエリス島(Ellis Island)に於いての和太鼓演奏日であった。
この島はマンハッタン(Manhattan, NY)からは僅かの距離にあるがNew Jersey州(NJ)に位置する小島である。又、この小島はかつてのアメリカ移民管理局の建物である。
当日早朝“Battery Park”へ集合し島までフェリーでの移動となる。
フェリーはリバティ島とエリス島へ渡航する為、朝から乗客の長蛇の列が出来ていた。わずか数分の間にとんでもなくこの列が長くなっている事に気がつく。N.Yへの観光客は必ずこのフェリーコースが観光に含まれている。
私達団体は“National Park Service”による優遇特別ルートでセキュリティー検査を済ませ早々に搭乗できた。フェリー搭乗後、早くも右手には巨大な自由の女神像が視界に入ってきた。そして、マンハッタンの摩天楼の街並みもフェリーから一望できる。

アメリカを象徴する自由の女神像。

フランスからアメリカ合衆国の独立記念百年を記念し1886年に贈呈されたという。
そんな束の間にリバティ島に到着した。私達はここでは降りずにエリス島へ向かった。エリス島が今回の演奏会場である。紐育太鼓愛好会のメンバーと共に上陸する。
エリス島は自由の女神像が立つリバティ島(Statue of Liberty)に近接している。

かつてアメリカへ移住を希望する移民の入国移民管理局があった場所で、現在は博物館になっている。赤レンガ造りの建物が1954年までの約60年間に渡って移民局として機能していた。
Ellis Island Immigration Museum、上階にあるかなり広いホールがかつての入国審査場である。
赤レンガ造りの建物のホール内にはいかにもアメリカらしく大きな“星条旗” が両端に掲げられていた。かつての13の植民地を表す赤と白の横筋模様に50州を表した星の数。

もう一度申し上げるが、ここはかつてヨーロッパを始め世界各国からアメリカ合衆国へ移住を希望する移民者の移民管理局があった場所である。かつての先人達(日本人も含まれている)が夢と希望を抱き上陸入国し50州に点在して行った。その先祖を持つ今の世代の者は我々とは違った面持ち、感情を持たれている。アメリカ合衆国は彼らを称え当時の移民者の名前が博物館横にある石碑に刻まれている。
長い時が刻まれた今日(コンニチ)、縁があって私はこのアメリカ合衆国の歴史が刻まれた格式と品格あるこのホールにて日本太鼓伝統芸術打芸を演奏させて頂く。


ここでの“Asian Pacific American Heritage”というイベントに於いて“マンハッタン太鼓”と“紐育太鼓愛好会”そして小生のソロ演奏、“御諏訪太鼓”を奏した。
波動が響き、轟き、韻り余韻する。そして、共鳴高潮作用を引き起こす日本鼓道。
ここのホール内はEchoがかなり効いており、日本文化の象徴である和太鼓の音色は敏感に反響“やまびこ”していた。

Photos by Morgan & Janet演奏を無事終了、片付け梱包荷積みをし終える。
その後外のテラスでメンバーの方々と景色を眺めながら昼食をとった。
自由の女神像そしてマンハッタン(Manhattan)からブルックリン(Brooklyn)にかけての景色が一望できる場所であった。

私はCaféでCappuccinoとMuffinを買った。
昼食最中メンバーの日本人の方より“おむすび”を確か4つ頂いた。
ほんとに旨そうなおむすびで自分にとっては何よりの御馳走であった。
郷里岡谷小学校での春の遠足で行った“やまびこ公園“で食べた“おむすび”を彷彿させる様な感覚だ。
やっぱり自分は生粋の日本人だなーとつくづく思う一時である。
実際のところ購入したMuffinは食べずに“おむすび”に舌鼓を打っていた。
メンバーの皆様、おいしい“おむすび”を頂きまして有難うございました。
この日は週末と言う事もあって地下鉄がSouth Ferry駅まで走っていない。
一部の間隔が運休している様だ。
(シドニーでも週末はよくある光景なので状況は理解出来た。)
帰りはBusでHotel近くまでの移動となった。Busでのマンハッタン巡りも悪くないと考えた。Busに乗車すると、Busドライバーが自分に興味を持ったらしく運転手の後ろに座れと言われ、自分は斜め後ろの席へ座る羽目となった。自分に色々と質問をしてきた。「ニホンノドコカラキタンダイ?」「ケッコンハシテルンカイ?」「イツマデN.Yニイルンダイ?・・・」と言った世間話をしている間に“Penn Station Madison Square Garden”が見えてきた。そこで下車しドライバーに別れを告げた。
良くも悪くもN.Y初のBus乗りはちょっとした思わぬ人との出会いで楽しくなるものである。
「 ハーレムに迷う 」5月27 日は午後から名門コロンビア大学構内(Columbia University)に於いての御諏訪太鼓演奏Workshopの予定があった。
何分土地鑑が無く不慣れな街である為、迷ってはいけないと思い11時前にはHotelを出た。地下鉄に乗り事前に聞いていた“W116 St”にて下車し地図を片手に指定された場所へ向かった。会場へは12:15に行けば良い事となっていた。
随分と早く駅に着いたので一人駅の界隈を歩いていた。如何せん好奇心もあり折角N.Yへ来たのでと時間に余裕があった為、更に足を延ばしてみた。その内明らかに道に迷っている自分に気がついた。公衆電話を掛けようと思ったが小銭¢50が無い。
どうやら完全に道に迷ったらしい。
街路には多くの黒人が見受けられる、時間は刻々と過ぎていく。
ふと見ると携帯電話を片手に歩いてくるガタイのいい黒人に声をかけた。
「ここは何処ですか?自分はここに行かなければならない。」とこんな具合に話した。
彼は、大きな微笑(Big Smile)を浮かべてこう言った。「ココハHarlemダ!」と言う。
イヤーあの噂に聞いていたハーレム街であった。(あちゃー。あちゃ・・!?)
Marcus Garvey Parkという公園付近で迷っていた。
どうやら彼は自分に興味を持ったらしく色々と質問をしてきた。
「君ハ日本人カイ?」「ああ、いかにも生粋の日本人だ。」とChatting会話が始まった。
「何ヲシニココヘ?」「いやーだから道に迷って・・・・。ホントはここに行きたい・・。」そして、電話を貸して欲しいと伝えた。彼は「ドウゾ。」と差し出した。だが自分は使い方が良く分からないので手っ取り早く携帯番号を伝えた。
電話が繋がったらしく彼は担当のTさんと話している。Tさん自身も誰だかわからない人からの電話で戸惑っていた様だが、彼の律儀で紳士的な説明の上、事の状況を理解したらしい。Tさんは随分びっくりされていた様であった為、自分に電話を代わり改めて事情を説明する。
彼は「Taxiニノッテイッタラスグダ!」と言う。彼は更に大きな微笑を浮かべ自分を見つめている。その後、彼は親切にTaxiをつかまえて自分を乗せてくれた。無論運転手は黒人。
彼はここへ行ってくれと運転手に説明している様だ。
しかも驚いた事に彼がTaxi代を払っているではないか!?(あちゃー。あちゃー。×2)
ホント面目ない。
「Taxiダイハオレガハラウカラキニスルナ! Mr. Taiko Drummer!!」と言っていた。
体中からJazzリズムを発散させているような一人の出会った黒人の印象。
彼は本当に気持ちのいい男である。
別れ際思わず写真を撮り、名前を聞いたが忘れてしまった。
私はこの機は稀な一期一会と悟り、御諏訪太鼓宗家小口大八師匠から頂いていた“御柱(オンバシラ)お守り”を彼に授けた。
そして私は後ろ髪を引かれる思いでハーレム街を跡にした。
ようやく会場へ到着。
お迎えが2人、エントランス入り口にて待機されていた。
「皆さん遅れてすいませんでした。」その後、何事も無かったかのように御諏訪太鼓代表曲“飛龍三段返し”の曲演奏Workshopが始まった。
N.Y, Harlemで出会った黒人の友。
彼は自分にとって守護神(人)であったと今振り返る。
Mr.守護人。いつかきっと再会できるであろう。
New York City is simply because it’s one of the most vibrant, energetic cities in the World.
All connected, all are linking that way of Traditional Japanese art Taiko.
That’s part of my life.
I am proud of being Japanese.
時を刻む道“日本鼓道”。
永遠に満足感は無い。
N.Y天鼓旅路の道標(テンコタビジノミチシルベ)。
鼓玄正派源流御諏訪太鼓流家元、宗家小口大八師を始めとして今回お世話になった現地の皆々様に心より感謝申し上げます。
合掌御諏訪太鼓保存会
関口達夫
天空