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「 今、空手道に思う 」 ~ 時の流れ ~

沖縄正統日本空手道 啓心館シドニー道場
07 /31 2008
~日本空手道啓心館(高沢正直先生)50周年記念に寄せる手記~

今昔追懐の情、
昭和38年(1963年)、私の父は岡谷市空手体育協会空手部に所属していた。そこで、初代部長であった高沢正直先生と共に黙々と空手道の稽古に汗を流していたという。日本空手道啓心館の前身である。当時の凄まじい稽古は現在のモダンな稽古スタイルとな大きく対比しているという。巻き藁突きの徒手空拳鍛錬、試割り、又この当時の組手稽古では剣道の防具を使用していたという。この年、父は当時Toyama-Kanken:遠山寛賢先生より弐段範士の證を授与される。その後、高沢先生により東京都板橋区に日本空手道啓心館の本部道場が設立された。
Dad Enbu 1
(上3枚:In 1963 at Okaya-City, Above from far right Master Takazawa & My father as Kata-Bunkai & Breaking :父、型の分解。解説、高沢先生。)
(下4枚:In 1963 at Okaya-City, Below from Breaking and Okaya-Dojo all member after the Demonstration & My father Sparing :父、試割り、組手。中央に高沢先生と道場生との写真:何れも昭和36年当時岡谷武道館に於いての写真である。)
Dad Shiwari 1
In 1963 at Okaya-City DOJO. Above the second my father from the left & the middle Master Takazawa.
KSK1963_convert_20090507103011.jpg

当の私自身は、実家近くの下諏訪支部道場へ通い、確か20歳頃に初段の免状を得た。その頃、父も道場へ顔を出し様子を見ていたが、「昔に比べたら稽古も厳しくないな!」とよく口にしていた。

平成14年(2002年)10月吉日、ここオーストラリアへ来た。
来豪前に啓心館の支部があるとは高沢正直先生より聞いていたが、「とても厳しく、こっちの者は稽古についていけないぞ!」と色々と話を伺っていた。そんな話を余所に、折角シドニーへ来たのだから挨拶だけでもしておこうというのが正直な気持ちであった。11月初旬、噂に聞いていた内田先生に始めてお会いする事ができた。高沢先生は前以って自分が行くと連絡してあったようである。話をしている内に、実際稽古に参加する事となった。稽古当日、生徒は皆オーストラリア人で、直向きに稽古に打ち込んでいる姿が非常に印象的だった。この日、私は恥ずかしながら道場の稽古についていけず、この日の稽古後、自らの黒帯を返上した。格段にレベルの違いが分かった。これが、高沢先生が言っていた事であろうか。そこに直面したのである。
ある意、恥でもあった。恥を欠かない事を恥じる。オーストラリア人の生徒たちは何を感じたか、日本の啓心館はそんなものか!と恐らく思っていただろう。
そこから、自分との戦いが始まったのである。全て基本からやり直しである。これは日本空手道啓心館の一日本人としての戦いであった。とにかく稽古について行った。真に意味のあるものであって欲しい。自分はこれだけの事をやったんだ。という自分の行為の理由付け。真夜中に危険を余所に人気のない公園で一人型の稽古を何度となくした。また、シドニー道場恒例の深夜0時に稽古が始まり延々と稽古が続き日の出と共に終了する荒修行もやってきた。
それから、3年後、内田先生の厳格な審査の下、改めて初段の證を授与された。

平成19年(2007年)9月下旬、内田先生と一緒に日本空手道発祥地である沖縄本島を訪れた。
そこでは、内田先生の中国拳法の師との関連道場、少林流比嘉稔先生、剛柔流東恩納盛男先生、上地流金城政和先生を訪ねた。沖縄独自の古式鍛錬器具を使った稽古。今も継承されている空手道の原型がそこにはあった。そして、一緒に稽古し汗を流し交流を計った。この沖縄での経験は奥深い日本空手道の原点を顧みる意義のある貴重な滞在であった。

今日まで内田先生の厳しい指導の下で稽古に励み、空手道の武芸の奥深い道というものが、ここオーストラリア、シドニーでは今も正しく伝えられ、オーストラリア人が日本空手道啓心館を背負い勇往邁進している事に誇りを持ちたい。
現在、日本で稽古に励んでいる方々も、これからの厳しい世の中を生きていく為にも、日本を離れ外から日本を見る眼、海外で徹底的に稽古を重ねてきた事が、どんなに意義のある事か特筆すべきでないかと思います。   私はまだまだ稽古が足りない身ではあるが、少なくとも、日本で稽古をしていた頃よりはシドニーでの空手道の修行を通して生き方、考え方の大きな転機となった。

内田先生は、「高段位の證は必要ない!」とよく言われる。ここまで、日本空手道啓心館に心も体も捧げているこの姿にはまったく頭が下がる思いである。

人生は様々な境遇の巡り合わせが絶え間なく起こっている、その瞬間こそが大きな転機であろう。信念を貫き通そうとする人生、信念を持って生きられるか問いただす事、何処に軸を置いているかの人生観の中の人生の実在感。

「生きた證」それは常に進歩していく事、即ち挑戦の連続である。

これからの時代を生き抜くためにも強い体力と精神力を養っていく所存であり、一啓心館会員として空手道を続けてきた意義を痛感するしだいです。

来る平成20年(2008年)8月31日、
山梨県の昭和町総合体育館に於いて開催される第50回記念大会で内田先生名代として『半月(セイシャン)』の型を演武させて頂く事に敬意を払いたい。


日本空手道 啓心館シドニー道場
関口達夫

Wonder SaiKid
In 2005 AUSTRALIA ( VICTORIA State ) : Exchange Culture

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「 初七日を終えて 」

時の流れ(日記)
07 /07 2008
誰でも師という存在は持っている事であろう。
それが、恩師であり、人生の師、何かの習い事の師であろうと人それぞれ様々である。

急な悲報が届いてからの1週間は、正直狂気の沙汰であった。
2,3日間は、ただ悲しく、切なく、寂しく、この現実を受け止められなくて呆然としていた。
それからの数日、『御諏訪太鼓宗家小口大八の鼓訓』を読み始めていた。
これは、自分がここオーストラリアに来る前に、宗家より渡された自筆の御諏訪太鼓奏者としての心得である。これは非売品であり言わば、虎の巻のような物である。その中でも他では見なれない聞かれない事が、ぎっしりと力強い字で書き残されている。

また、以下は先月6月18日御諏訪太鼓道場訪問時に、宗家より頂いた物から。

神道芸術 (シンドウゲイジュツ)
━御諏訪太鼓六十年━

太鼓奏楽は我が国伝統打芸です。
その中で御諏訪太鼓は、太古より農耕武勇の神として人々の信仰を集めている信濃之国(長野県)一之宮諏訪大社の太々神楽を伝承したものであります。
御諏訪太鼓には、昔から「打てよ神の子神の音なる神賑わい」の祝詞(ノリト)があり、今日に伝えられています。
太鼓は諏訪大社建御名方(スワタイシャタテミナカタ)の神の在所であり、これを打奏するにあたっては精進潔斎(ショウジンケッサイ)をして、真摯な心を持って撥(バチ)を握り、打奏は即ち祝詞であり祈願と感謝の対話である。との真意に基づいて一心不乱に打つ事に徹し、やがて神と打者が一体となった時、神音が出て来る、と・・・・・・。
つまり、良い音が鳴り響くとの言い伝えであります。私はこのような御諏訪太鼓を、神と人間とが結ばれて創り出される「神道芸術」であると考えております。・・・・・・・

・・・・そして、昭和26年(1951)に御諏訪太鼓において、複式複打法と呼ばれる、オーケストラ方式による独創的な組太鼓スタイルを創案、完成させ、その後、全国各地で公演・指導を行い、財団法人日本太鼓連盟創立に至りました。国立劇場の「日本の太鼓」の公演には昭和52年(1977)の第一回より、何度か出演しております。また、国際公演も度々行い、国際親善・文化交流にも貢献できたのではないかと思っております。

御諏訪太鼓の複式複打法は、複数の打ち手が複数の太鼓(径と胴長の異なる高音低音の太鼓)を組太鼓にして打奏するというものであり、この画期的な方法は近代太鼓打法の先駆けとなり、全く新しい独創的な集団太鼓音楽として演奏することが可能となり、太鼓の音楽的位置づけとその確立がなされたのです。そのために僅か50年余の歴史の中で国内外にわたって広く普及し、大きな発展・ブームを呼び、画期的な太鼓文化を築き上げたのであります。・・・・・・・・・・。

平成17年(2005)9月3日
(おぐちだいはち・財団法人日本太鼓連盟副会長/
信濃之国一之宮諏訪大社太々神楽御諏訪太鼓宗家会長)



ジャパンファウンデーション(国際交流基金)の前身である国際文化振興会(KBS)時代から36年、その職業人生において一貫して文化交流に携わってきた小松氏の語りより。(2006年9月の報告から)
1971年、国際交流基金の前身である国際文化振興会(KBS)に入社。KBSは1933年の国際連盟脱退直後、日本が国際社会で孤立することを恐れて設立されたものである。KBSは戦後まもなく業務を再開したが、小松部長入社時には細々とした活動をしているにすぎなかった。
・・・・・1972年、虎ノ門の晩翠軒で国際交流基金の業務を開始。入居予定のビル落成が間に合わず、かつての中華料理屋の円卓で仕事を行った。 2ヵ月後、新築なった大東ビルに入居。

東南アジアとの交流のため、73年に宝塚歌劇団東南アジア公演を実施。鎖国を解いたばかりのビルマに、華やかな舞台を持っていった。宝塚は階段を豆電球の電飾で飾り、それの点滅操作で舞台を盛り上げるのが特徴であるが、ビルマでは大きな裸電球しか用意できず、日本の舞台を忠実に再現することはできなかった。しかしチケットはブラックマーケットで70倍のプレミアがつき、公演は大好評であった。御諏訪太鼓の公演は、戒厳令下のベトナム、マニラを訪問するという冒険をした。特にベトナムのサイゴンは、陥落数カ月前の公演。反響は大きかった。
(国際交流基金の創設以来、幅広い活動に携わってきた小松諄悦氏に
「ジャパンファウンデーションの34年」を語っていただきました。)


ジャパンファウンデーション創設期の尽力者の小松さんはこれらの思い出を過去に語っている。この出来事が、多くの反響を呼び和太鼓海外公演の走りとなったのだと言う。

~ 寸心 ~
・・・我が太鼓師があっての小生、教えや誓願を実行する事、
・・・その志を清潔にして、唯だ道をこれ務むなり・・・・

岡谷で産声を上げ、岡谷で育ち、お盆の岡谷太鼓祭りで太鼓を聞いてきた。
そもそも、御諏訪太鼓との出会いは、小生が岡谷小学校低学年の頃であった。岡谷市内の病院内での佳澄さんとの出会いであった。その時の会話は佳澄さんと小生の母親同士の世間話が縁であったという。
その縁がもたらした、巡り合わせ。
・・・・かつて、地元岡谷にある塩尻峠 『縁結(エンムスビ)』 焼肉屋での宴会の席でも随分と世話になった気がする・・・・。心情は忘れた記憶を呼び起こす。

思い出す尊い事実と今までの縁(エニシ)、
師の恩に合掌せずにはおれない。

一つの橋を渡り、渡り舟に乗る報恩の為、来月8月初旬に帰郷する・・・・・・。

つつしんで掌を合わせてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。


合掌

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シドニー不動産 ☆ 天空(雅号): http://www.heiseirealty.com.au/

これまでオーストラリア NSW州政府公認 法人免許 日系で最も古い総合不動産会社として1986年よりシドニーを中心に幅広い分野で海外移住のフルサービスサポート、不動産・事業投資、日本からの起業進出、個人を問わず様々な方々と多岐にわたる事業を通じて和食レストラン出店開業・飲食店の立ち上げのお手伝いをしてきております。
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■■■ 旅人☆旅先のシドニーでおいしい!かわいい!!カフェ・和食レストラン・ファッションとローカル情報いっぱい満載! ■■■


【単独全米48州&全豪一周車で御諏訪太鼓と共に走破!!】

■現在SYDNEY在住の日本男児、信州 郷里 御諏訪太鼓の里より地道な本能的演奏活動を展開中~ 進むべき道を切り拓く、
その土地の香り、そこの風、そこの風景、そこでの出会い縁、
“ 御諏訪版水戸黄門/遍路風土風情録 ”島から大陸へ大陸から島へ行ったり来たり.... の道標“みちしるべ”■
合掌

Photo by Helen @Ayers Rock, Uluru-KataTjuta National Park
on Sep/2006.  (AUSTRALIA : オーストラリア連邦国)



■~ 信濃之国一之宮諏訪大社奉納 無形文化財 御諏訪太鼓を奏する旅 ~■

【車の荷台へ太鼓を積み最寄の町“Alice Springs”から南へ500km車を走らせる・・・】

眼前に広がる赤土の景観と大地の営みに感動 .......

そこは【世界の中心】あるいは
【地球のへそ】と呼ばれている場所である◆世界最大の一枚岩と言われる通称エアーズ・ロック◆そこはオーストラリア大陸中央部に位置する場所・・・

■~ 諏訪人の雄叫び 元祖 御諏訪太鼓 奏■

【世界初、前人未到、非公開、立ち入り禁止区域で特別プレゼンターの誠意によって決まった御諏訪太鼓の披露
■*** UNESCOユネスコ世界遺産 ***■
☆聖域ウルル・カタジュタ国立公園内、アボリジニ先住民の“聖地”に於て☆
世界最大の一枚岩の神秘、大地の恵みと共に元祖 御諏訪太鼓以奏ス】

【天地ノ鼓以心拠為、
やろうとして心働かせれば、そこに心止まる....... 静
以て、水溜まれば下に流れる・・・。
転がる石に苔付かず、
流れる水は腐らない....... 動】

【In 2008, the distance between Sydney, Australia and Los Angeles, California, U.S.A is 7,487 miles (12,049 km). Logged over 40,000kilometres from their front gate in Sydney to North America as U.S.48states, Canada and Mexico on a 55days own road trip】......◆全米・全豪☆独走、独創、独奏、独道の旅路☆本来無一物 謝謝◆

*** 皆様に、シドニーの★かわいい!おいしい!いいじゃん!etc 話題情報満載のご提供をドンドンします!!

・・・日本伝統神道芸術■和太鼓■をもっと身近に感じられるブログにしていきたいと思っておりますので、宜しくお願い致します。***



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